| 建築設計日記 |
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| ブログ開設しました | 2005年6月4日 | ||||||||||||||||
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ブログ開設して10日目。 今話題のブログに挑戦してみました。この日記とブログ、両方更新はつら いものがあり、日記はブログを見ていただきたいと思います。 ブログはhpの更新より楽ですね。あと、アクセスの反応が早いです。 書き込みすると、その日のアクセス数が30〜50になり2,3日でなくな るみたい。更新が命です。ブログにこのhpアドレスをリンクするとこの hpのアクセス数も上がるようです。なんせ初心者なので、細かな設定がで きていません。 最初ライブドアと楽天で同じものを作ってみた。結局、楽天に決めました。 カウンターをつけられるとか更新すると自動的にメールを送ってくれるサービ ス付きなのと、設定が簡単なところが気に入ったからです。 まずは ブログ を見てください。 日本〈汽水〉紀行 著:畠山重篤 第29回日本エッセイストクラブ賞受賞 森と海が深く関係あることを考えさせる逸品。 | |||||||||||||||||
| 小田戸さんの学習塾オープン | 2005年4月15日 | ||||||||||||||||
大田原市の小田戸さん(美人の努力家)が一風変わった学習塾を開きました。 当社は200も仕切りのある特殊な教材棚の設計を頼まれました。 以下、学習塾の紹介です。 教室の名前は、「学習室クレンズ」と言います。 算数/数学の「らくだ教材」を使っての自学自習=学び方を学ぶ体験をとお して、あるがままの自分に向き合い、自律・自立する力をつけます。 子どもから大人まで、学ぶ人の年齢の制限はありません。 あいている時間は、月.木曜日の15時から21時まで。 所在は、 〒324ー0042 大田原市末広3ー2861ー4ー202 です。 詳細については、 教室日にTEL・FAX/ 0287ー23ー2627 にお電話いただくか、 fumiko-odato@ams.odn.ne.jp にメールくだされば、ご案内します。 |
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| 建築士会によるの計画展開催 | 2005年2月19日 | ||||||||||||||||
今市市で行われる2月11日の花市に合わせて、各種団体による展示会が
華やかに行われました。
建築士会今市支部まちづくり委員会では、5年間のマロニエ地域貢献活動
の総まとめとして、『建築士による中心市街地活性化計画展』を開きました。
会場のかましん4階では、おかみさん会による「しもつかれコンクール」も
開かれ、600人の人が試食投票に訪れました。
フラワーズ商店街主催、建築士会後援の「大通りファサードデザインコン
ペ」の表彰式、中心市街地活性化シンポジュウムも開かれました。
私が今市市のまちづくりに関わって6年になりますが、やっと建築士会が
一般に認知されてきたかな〜といった感じです。いっしょにイベントをやる
のは始めてです。
まちづくりを考えている団体は今市市にもいくつかあります。今後、横の
つながりが大切になってくると思います。
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| 恒例の餅つきです | 2004年12月26日 | ||||||||||||||||
中村家では、餅つきを40年続けています。私の父親が親戚から臼と杵を
譲り受けて始まりました。兄弟4人いたときは楽でしたが、みんな大学やら
就職やらで家を離れて、母と私だけで餅つきしたことも何回かありました。
その時は大変でしたが、ここ数年は東京から兄が手伝いに来てくれています。
本日の参加人員は、私、浩子、兄、兄の友人神野君、母の5人
白餅6臼、豆餅2臼突きました。
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| 新潟中越震災建築相談に行ってきました | 2004年11月13日 | ||||||||||||||||
11/6(土)〜8(月) 新潟県中越地震建築相談に行ってきました。 11/6〜15間の先発隊で行きましたので、参考に向こうの活動状況をお 知らせします。 6日(土) am10:30 長岡市のハイブ長岡集合。オリエンテーション 受ける。(6日のみ) 関東甲信越勢55人+新潟建築士会。 群馬16、長野13、茨城12、栃木10、山梨2、東京1、千葉1 派遣先振り分け ・長岡市 群馬16、東京1、千葉1 ・小国町 茨城5 ・見附市 茨城7 ・小千谷市 長野13 ・堀之内町 栃木6 ・小出町 栃木4(中村) それぞれ新潟建築士会メンバーが2人ずつ付いて派遣先に誘導する。 以後、役場と相談の上、臨機応変に対処するようにとのこと。 pm 2:00 小出町役場到着。 会議室で役場側6名と打ち合わせ始めるが、役所側は何も 準備していない。県−役場連絡・情報不足の様子。驚くこ とに応急危険度判定士も入っておらず、赤黄緑の紙が貼っ てない。地元の建築士組合で家屋調査したとのこと。 堀之内町の栃木グループより応援要請あり、堀之内町に 向かう。 pm 6:00 堀之内役場建設課星野係長より状況説明、派遣隊より状況 報告受ける。 被害が大きかった町であるが、建設課では住宅地図に応急 危険度判定の明確に色分けがされており我々の作業はスム ーズに入ることができた。 我々の仕事 ・建築相談。(応急危険度判定業務は終了している)応急危険度 判定は外観で判定している。今回は内外とも良く見て判断する。 ・破壊された住宅に住民の不安が強い。建築相談を希望する住人 (黄が多い)の建物を見て、丁寧な説明をしてあげること。 恐怖感から、建物は大丈夫そうにもかかわらず庭でキャンプ生 活をしている家族も多かった。赤、黄が貼ってあっても住めな いことはない。 ・来春以降対処するにしてもこの冬が越せるか不安。豪雪地。手 が足りなく応急処置もままならない。一冬越せるか判断する。 ・判定が赤でも瓦が落ちそうとかエアコンの屋外機が落ちそうだ からというものも多い。住民は赤紙に大きな不安を持つ。大丈 夫といってあげると安心する。赤でも補修できる可能性は充分 ある。 ・赤で取り壊し決定しているものは見ない。 ・二人一組で1件ずつ丁寧に回り、記録表に記録していく。 (住宅の現状、応急危険度判定内容、相談内容) 自衛隊設営のテント風呂に入る。(最高!) 宿泊は役場隣接 の公民館の和室に10人ごろ寝。毛布は支給あり、ガス暖房有 りで寒くはない。他の部屋は自衛隊の宿泊所になっている。 2O代ぐらいの隊員がたくさんいた。同じく隣接する町民体育館 で避難民が寝起きする。 7日(日) am 7:00 炊き出しの朝食をいただく。 am 8:30 建設課星野係長の指示で派遣先分担する。避難所2カ所で住 宅相談窓口開設。新潟建築士会4人が合流し窓口担当になる。 栃木グループ10人は被害の大きかった新道島に向かう。 新道島の避難所で、分担する住民と合流して1件ずつ相談を 受ける。 午前中で終了。 pm1:00 新道島の次に被害が大きかった下島に入る。ここでは、区長、 副区長 に案内してもらって回る。一緒に回らないと警戒され るおそれがある。 5時半終了。 私の班は17件回った。午前午後で2ラウンドの運動量。 pm6:00 派遣隊より状況報告。あしたの活動範囲、分担打ち合わせ。 栃木グループ4名帰県する。 ※自衛隊の風呂に若い4人組がいたので聞くと、静岡からの医療 ボランティアとのこと。 8日(月) am 7:00 炊き出しの朝食をいただく。 am 8:30 栃木より新手5人が到着。状況説明。 きのうの続き−下島、田川地区を回る。 住宅相談窓口2カ所開設。 pm 5:00 終了 ミーティング後、私含む6人帰県する。 栃木県は、10日間で50人参加予定。気づいたこと 30数軒の建築相談をさせていただき思ったことがあります。現場で口酸っ ぱく言ってきた建築的常識は本当だったということと、新たな発見です。 被害が小さい建物と大きい建物を比べれば一目瞭然でした。 ・盛り土に建てるは注意、切り土は可。 ・重心と剛心の偏心率は小さいほど良い。 ・4寸角柱は強い。 ・瓦屋根は地震に弱い。 ・1階RC造2,3階木造は、RCは意外と強い。2階木造部が意外と被害 が大きい。 ・土間筋必要(入って無い)。土間筋壁定着要。 ・屋外土間は、無筋では無力。 ・筋交い金物は強力。
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| オープンシステム第3号 | 2004年9月23日 | ||||||||||||||||
平成16年1月、オープンシステム(OS)第3号住宅着手。 高校の同級生S君から電話があった。築20年の現在住んでる住宅を増改 築したいとのこと。早速お宅におじゃまして話を聞いた。 木造平屋建、32坪の住宅を瓦屋根を残して、ラスモルタルの外壁、内装 材床組を取り、柱も造作部分を取り替えることになった。増築して43坪に なる。こんな大規模な木造住宅リフォームは、私は初めてだった。 建設工事の状況は、「オープンシステムによる実績・建築中物件〜〜S邸」 を見ていただきたい。 施主S氏は、8人の社員を持つボイラーのメンテナンス会社の社長だった。 今回工事の給排水設備・空調設備・住設設備は施主工事。彼はほとんど毎日 現場に行き、設備工事をしたり工事の様子をつぶさに見たりして、疑問点や 問題点を私に指摘してくれる。20年前の住宅も設備を施主工事で行い、詳 細な工事写真を残して改修設計の貴重な資料になった。セミプロ施主である 。S氏は施主参加型のOSにはぴったりの施主だったと思う。 工事は16業種の分離発注になった。8業種が第2号棟を受注した業者と 替わった。各業種とも2〜3社ずつ見積を取って検討するので、いつも同じ 業者が受注するとは限らない。 建物仕様は、無垢材、銘木を多用し、新建材をほとんど使わず、既製品も あまり使わない仕様。外壁はラスモルタルにジョリパット吹き付け。内部は 大部分京ジュラク塗。浴室は床:黒御影石貼、壁天井:さわら板貼オスモ塗。 ヒノキ無節の濡れ縁。すごいのは昔ながらの土間。あとは建設日記を見て欲 しい。施主の要望は、私にとって初めてやることのオンパレードだった。 いい住宅ができた。初めて見る人は、新築と思ってもリフォームしたとは とても思わないだろう。これからS邸は、植栽が施され、玄関アプローチが 整備され、内部も引っ越し荷物が収まってくると楽しい住まいになっていく だろう。 平成16年9月6日 引き渡し。 | |||||||||||||||||
| オープンシステム第2号 | 2004年9月22日 | ||||||||||||||||
平成14年12月、オープンシステム(OS)第2号住宅着手。 このhpには、『理想的マイホームプラン作成サービス』のシステムがあ る。当初は、そのサービスシステムのためにhpを作った。 OS第2号のお客さんは、『理想的マイホームプラン作成サービス』に申 しこまれた方だった。住宅を建てる場所は石橋町だが、現住所は宇都宮市緑 町。割と近場なのでおじゃましましょうということになった。 施主のI夫婦は、30歳と29歳の若夫婦。2歳の男の子の3人家族。 2ヶ月前から宇都宮の某工務店と設計打ち合わせをしているのだが、満足 できる平面プランができず、まとまらない。インターネットでいろいろ検索 して、当社のhpにたどりついたとのこと。まさに当社のhpは、そうゆう お客さんのニーズに応えるために作ったものだった。又、インターネットを 活用しているので、距離が遠くても問題ないサービスです。 このI御夫婦の場合、距離がオープンシステム業務範囲ぎりぎりいっぱい (1時間ちょっと)なので、オープンシステムの説明もさせていただいた。 なんと、OSでOKとのこと。私の心は躍り、喜びいっぱいであるが、2ヶ 月間打ち合わせた相手もいることだし、本当にOSでいいのか時間を取って よく考えて欲しい旨を話して、価格の見える家づくりPart1,2 2冊置いて その日は帰宅した。 12月末、I夫婦と契約書を交わして、設計に着手した。 平成15年4月10日、石橋町の現場で地鎮祭を執り行い、近くのお蕎麦 屋さんの2階で契約式を行った。I夫婦のご両親もお出でになり、緊張の中 にも、なごやかな門出を迎えた。 当日午後、OS第1号のN・T邸の引き渡しを完了し、新たな気持ちで2 棟目の工事に着手した。 建設工事の状況は、「オープンシステムによる実績・建築中物件〜〜I邸」 を見ていただきたい。 平成15年8月12日 I邸 引き渡し。 続く。 | |||||||||||||||||
| オープンシステム第1号 | 2004年9月21日 | ||||||||||||||||
平成14年6月、オープンシステム(OS)第1号住宅着手。 私の中学校時代の教頭先生が、娘さん夫婦と同居する2世帯住宅を建てる というお話をいただいた。148坪の敷地に3通りの建て方を提示した。 是非にとお願いして、オープンシステムで建てることを了承していただいた。 建設工事の状況は、「オープンシステムによる実績・建築中物件〜〜 N・T邸」を見ていただきたい。 初めてのOSなので、毎日現場に行った。現場まで車で5分。あたりまえ だがだれも段取りしないので、全て自分でやった。分からないことは職人に 聞いた。木工事のオリオン建都は建設業なので、榊社長に相談もした。現場 監督をしたことないのに、知ったかぶりして失敗する愚だけはしたくなかっ た。 設計図はばっちり書いてあるので、あいまいなところはないのだが、大工 さんは図面を見てなかった。毎日私が現場に行っているので、間違ったとこ ろはすぐに直してもらった。北山大工は腕が良く、手早で、指摘したことは すぐに直してくれた。これが意地っぱりの人では大変だ。 北山大工は、平成16年9月現在、OS3棟を経験したので図面をよく読 む大工さんになった。3棟目で、図面に一部不自然に直し漏れがあったとこ ろをその通り作られたのには閉口した。 先生夫婦は毎日現場で作業風景を御覧になっていた。コーヒーも用意して いただいた。 私は現場に行くたびに掃除をして帰った。結構掃除に時間がかかったし、 のどにも良くなかった。原則的に現場の掃除は汚した人が掃除することにし ていたが、きれいではなかった。特に、ボード貼りの時は、部屋中石こうの 粉塵だらけになってしまう。自家製ハタキも2本作った。OS仲間のMLで も監理者が掃除している旨のメールがあったが、これは本来違うと思い今で も思案中である。 建物はよくできたと思う。工期も予定通り完了した。予算も予備費に手を つけずに変更増分のみで予定内だった。毎日現場を見たのは初めてなので私 は感激ものだった。自己満足では困るが、施主の先生御夫婦、娘さん御夫婦 も満足そうだった。それが一番嬉しかった。 平成15年4月10日引き渡し。 5月末、OSの『価格の見える家づくり Part2』出版記念講演会開催。 OSで建てられた施主の体験を、沼尾先生に代表で発表していただいた。 率直で慈愛こもったお話をしていただき、涙がでるほど感激した。講演後の 打ち上げの時、山中社長から「あんなに良い話をしていただいてよかったね」 と言われた。 過去の後味の悪い経験に比べ、結果がダイレクトに現れるこのシステムは すばらしいと思った。今後もがんばって続けていこうと決意した。 続く。 | |||||||||||||||||
| オープンシステムに参加 | 2004年9月20日 | ||||||||||||||||
平成14年6月、オープンシステムに入会。 平成11年ごろ、東京国際フォーラムでベンチャーフォーラムがあった。 そこに出店していた鳥取県米子市にある山中設計の山中社長にお会いした。 オープンシステムの理念を始めて聞いた。 建築設計事務所主導で分離発注をして家づくりをする。設計事務所が工務 店に代わって家づくりをするのかと驚いた。施工管理経験がある人ならよい が、自分のような設計事務所しか経験ない者はできないだろうと思った。 クレーム産業といわれる業界で、保証はどうなるのかも心配だった。 当社の設計する住宅は、過去1年に2〜3件と少なかった。医者、会社の 社長さんの家が多くて、面積も金額も割と多かった。だから、分離発注の必 要性を感じていなかった。平成10年以降バブル崩壊の影響が深刻になり、 官公庁物件も得意のRC、S造の大型物件もめっきり減った。事務所移転を 機に、一般住宅の研究と受注に力を入れ始めた。 壁にぶち当たった。 一般住宅の業界では、設計事務所は一般的にお客様から直接頼まれるもの ではなく、工務店やハウスメーカーの下請けで図面を書いて確認申請を取る のが仕事である、という常識がまかり通っていた。確認申請を取る図面を書 くのが設計である、というとんでもない常識が一般的に普及している事実。 そういえば、親戚のおじさんや親身になってくれた人たちには、「中村君 は何人大工抱えている?」とよく聞かれたものだ。私は、「設計をして、 見積もり合わせで業者を決めるから、大工とは付き合いはないですよ。」と 言うと、意味を分かってもらえなかったものだ。それでよく食っている、と 驚かれたものだ。 私はビル物件や、官公庁と同じように一般住宅を設計監理しようとした。 しかし、一般住宅には現場監督が常駐していない。私が現場に行って指示し ても、職人は親方である工務店の監督の言うことしか聞こうとしない。監督 に言っても、メモをとらずに忘れたりして現場に伝わらない。意志の疎通が めちゃくちゃ悪い。図面を何枚書いても、大工は平面図しか見ないで作って しまう。監督が図面を隅から隅まで見てるかというとそうではない。ザル読 みしている。確認申請の図面でつくることしか経験してないのでそんなこと になる。ハウスメーカーに負けるわけだ。 名誉のために付け加えるが、そうでない工務店ももちろんある。当然繁盛 している。 設計段階で、施主と良好な関係であっても、施工で勝手なことが始まると 、次第に信頼関係が薄らぐし、自分自身のストレスも溜まることになる。 結果、施主が満足する建物ができればよいのだが、そうでない場合の多い。 施主が満足する建物を、在来の工務店が造り続けていれば、これほどハウス メーカーにシェアの奪われることもなかったろうと思う。 そんなジレンマにあったところ、一足先に入会していた佐々木設計企画の 佐々木さんから再度入会を誘われた。入会することに決めた。 続く。 | |||||||||||||||||
| 設計事務所設立(5) | 2004年9月19日 | ||||||||||||||||
建築士会活動
平成6年4月、建築士会今市支部の渡辺支部長から、支部の理事になって
くれとの依頼があった。事業部長を引き受けてとのこと。
建築士会は、建築士の資格者と建築士を目指す個人の集まりで、設計事務
所、建設会社、役所の職員が加入している集まりです。(社)栃木県建築士
会の事務局が宇都宮市簗瀬町にある。機関誌『建築士』が毎月、講習会
の連絡、広報誌が届く。違反建築がないか日光土木事務所といっしょに建築
パトロールを毎年1回実施している。
今市支部は60数名の会員がいたが、自主的な活動はなかったようだ。年
度の決算書はあっても事業計画書はなかった。
自主的な活動を計画して、実行してくれとのことだったので、いろいろ計
画した。改修前の日光御用邸見学会、神橋改修見学会、東電さんの協力で、
東京のエコハウスの展示場見学、東京ビックサイトでのジャパンホームショ
ウ見学、日光支部との合同講習会、全国大会への参加、関東地区大会への参
加。年の近い若手とは親しくなり、その後の活動の力になった。
平成7年半ばより青年部長になり、本部に出向し始めた。
平成11年3月、建築士会今市支部の作品展『建築士の顔・かお。カオ』
を開いた。会場は杉並木公園ギャラリーで、会期は5日間。
会員は60数名いるが、1度も会ったこともない人が大勢いる。なにをや
っている人かわからない現状だった。そこで会員のいままでやった仕事の代
表作を出してもらい、展示して多くの一般市民見てもらいながら、我々会員
同士もお互いを認識し合おう、という趣旨だった。会員にしつこく呼びかけ、
手分けして集めた。そのほか今市市街地の明治始めから近年までの写真を、
今市市郷土資料館から借りてコピーパネル化して展示した。
イベントを1年かけて準備し、成功させたことで青年部会の連帯感が強く
なった。当事務所の2階10帖間が会議室になり、委員会の後は仕事の話や、
情報交換に花がさいた。
平成12年、今市支部に、「まちづくり委員会」発足。
趣旨は、まちずくり論議が全国的に盛んであるが、建物をつくる立場の士会
として、まちづくりの研鑽を積みながらプロの立場から発言して地域に貢献
していこう、ということ。
平成13年3月、『建築士会まちづくり展』開催。
内容は、前に日記に書いた通り。準備が大変だった分、皆で喜びを分かち合
った。
続く。
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| 設計事務所設立(4) | 2004年9月17日 | ||||||||||||||||
平成8年11月、新社屋完成、移転。
平成6年ごろから、新社屋の構想を立てていた。事務所の道路向い側の空
き地70坪が同じ家主とゆうこともあり、折に触れて交渉していた。OKが
出たので自分で農転申請し、確認申請も取った。計画は、1F事務所
89.4u(27坪)2Fプライベート室42.7u(13坪)計40坪。
しかし、時はバブル崩壊の大不景気中で新築するのは様子見していた。と
ころが、衆議院選挙で初の小選挙区が実施され、2区選出の西川公也議員が
今市に事務所を探していて、私の事務所に代わりに入ることが家主との間で
決まってしまった。どうしてもやらなくてはならない立場になってしまった
のだ。
売り上げは減少傾向だし、先行き景気も回復しそうもない。不安がいっぱ
いだった。が、背中を押されるように社屋着工に踏み切った。この借金を今
も返し続けている。
11月末に我々が引っ越しを完了し、9坪の事務所を1日かけてきれいに
掃除をして家主に引き渡した。黄金の館に借り入居していた西川公也事務所
は、次の日に移転してきた。
明ける平成9年、(財)栃木県農業公社発注で今市市内の畜産基地を次々
と受注した。平成12年までに13本受注したので、公社の職員が打ち合わ
せに事務所に訪れることもしばしばだった。前の9坪のプレファブ事務所で
は図面を広げて打ち合わせする場所がなかったので、そのときばかりは新築
して良かったと思った。
2階は10帖間があり、これ以降は建築士会の若手のたまり場となった。
続く。
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| 設計事務所設立(3) | 2004年9月17日 | ||||||||||||||||
平成5年秋、(社)今市青年会議所(JC)に入会。 私は、(有)佐々木設計企画の佐々木さんの強い薦めで、(社)今市青年 会議所に入ることにした。佐々木さんは入会勧誘に私の事務所に来て、入会 すると返事するまでだまって座っている。根負けして入会することにした。 後日佐々木さんのその手口で、日本創造研究所のSAコースに行くことにも なった。3年前は、オープンシステムに入会勧誘されて入った。佐々木さん は寡黙であるが勧誘が上手で、私は勧誘に弱かった。でも、どれもいい会に 勧誘してもらって感謝している。 青年会議所の入会条件は、40才以下の経営者・後継者・それに準ずる者 だったと思う。65名ぐらいの会員と、30人ほどのOBがいるシニアクラ ブがある会だった。上部団体として、栃木ブロック協議会、その上に関東地 区協議会、その上に(社)日本青年会議所があり、組織が世界中にある。 栃木ブロックまでは交流させてもらった。 入会して、お知り合いが飛躍的に増えた。当時は会の活動でかなりの時間 が割かれるので、負担に感じないこともなかった。私は、人と群れるのがき らいで団体行動は極力さけてきた。しかし、青年会議所はメンバー個人の小 さな力と知恵を結集して、新聞に載るような大きな事業を成し得る醍醐味が 魅力だった。3年間の在会期間で、グループ行動はそれほど気にならなくな り、かえって積極的になったようだ。腹を割って酒を飲みながら語り合った 仲間は、今でもおつきあいしている。 平成8年末、40才になってJCを卒業した。 JCで知り合った先輩後輩から、設計の仕事を頼まれることもある。公私 共にプラスになることが多いので、同業の後輩達にも入って欲しいと願って いる。 続く。 | |||||||||||||||||
| 設計事務所設立(2) | 2004年9月15日 | ||||||||||||||||
平成6年5月末、代表作となる”今市市いきがいセンター”を受注した。
この物件の為に、事務所の一大転機が訪れた。
当時、前年までバイトで手伝ってくれていたY君が、建築専門学校を卒業
し新卒で入社していた。又、1年パートタイムで通っていた2級建築士のT
女史を年度初めから正社員にしていたので、3人体制になっていた。
受注した物件は、設計工期が3ヶ月しかなかった。また、県内先駆けて市
が計画した施設なので、見学して参考になる施設が他になかった。さらに自
社の代表作を作ってやろうとの意気込みが強く、設計はハードスケジュール
になった。荒井設計並のハードワークを3ヶ月やった。
きびしい予算の中で、自分の全てを出し切った満足感を感じた。
ところが・・・・・・・
入社したばかりのY君が9月から来なくなった。電話の話では、持病の腰
が悪化してしばらく安静にしたいと言う。半月して来社し、会社を辞めたい
といいだした。理由を聞くと、1.ハードワークはきらい。2.給料が安い
ので結婚できない。 と、2つの理由を言った。私は唖然としたが引き留め
てもいいことなさそうなので了承した。
追い打ちをかけるように、T女史が9月いっぱいで辞めると言い出した。
共謀してんじゃないかとうたがった。以前からのめりこんでいたアムエイと、
デパートのアルバイトで生活すると言う。
この二人とは、その後何度か出くわすことになる。出くわす度に会社が替
わっていた。
私は一人になった。
秋にYさんをパートで採用し、次年度8年勤めることになる福田女史が入
社することになって3人体制が復活するが、解決しなくてはならない問題が
あった。二人が辞めていった理由を解決しないことには、また同じことが繰
り返されるのではないかという不安だった。
会社に社員を引きつける魅力があって、やりがいがあって、仕事をしてい
くことで社員自身が向上していくことが感じられる、そんな会社像を作りだ
さないとせっかく入った社員がすぐに辞めていってしまうと思った。それに
は社長である自分が、自分の会社をどんな会社にしたいのか、なにを目標に
して働くのかを決めて、文章にしなくてはならないと考えた。
しかし、具体的にどうしたらいいか考えつかなかった。
平成6年に、私は友人の紹介で栃木県中小企業家同友会に入会していた。
その会では経営指針書を作ることを奨励していて、私は、これだ!と思っ
た。自社の現状分析、今後の改善点、今後の目標を考え書き出していった
。これをまとめて整理してワープロ打ちした。この時作った指針書は単年度
では実現せず、3年後に全て実現することになる。そして平成10年から毎
年作って、年初に社員に渡してミーティングすることを年間行事とすること
になる。
現在、私は同友会 経営指針成分化委員会の委員長を仰せつかって今も勉
強中です。
続く。
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| 設計事務所設立(1) | 2004年9月13日 | ||||||||||||||||
昭和62年11月26日(有)翔建築設計事務所を創立した。
事務所は、人目につきやすく、場所を電話で説明するのにも簡単な所とい
う条件で探した。50坪の敷地に9坪のプレファブの借地を見つけ、そこに
決めた。築1年で、数ヶ月前まで不動産屋が借りていたところ。月6万、敷
金2ヶ月分、礼金2ヶ月分。大家の沼尾氏とはその後長いおつき合いになっ
た。
設立当初は何も仕事が無く、3年間ほど荒井設計の下請けをやっていた。
荒井設計も私のキャリアを必要としていた。独立して、まず東武スイミング
クラブに入会、体力回復に努めた。ジムの体力測定で、40代の体力といわ
れた。1年で年相応の体力に回復した。
2年後、大家の沼尾氏からテナントビルの設計を依頼された。黄金の館、
330坪である。時は、後からはバブルのかげりが見えるとはとはいえ、好
景気の真っ盛りだった。3年目には、知り合いのデザイナーとの共同作業で
、UICビルを手がけた。独立時期が良かったおかげで、事務所の滑り出し
は順調だった。経理は、会計事務所勤務経験のある母がやってくれた。
創立4年目の平成3年に、初めて官公庁に指名願いを出した。初指名の今
市市立大桑小プールを入札で落札した。次年度、今市市立轟小学校プールを
落札した。手がけたプールの評判は上々で、以後当社の設計仕様が今市仕様
となった。それ以降、今市市の入札のない特命物件(設計料50万円以下)
を、頻繁に頼まれるようになった。
官公庁の仕事はその後順調に受注し、今市市、栃木県、日光市、県警、栃
木県農業公社と事務所の総受注量の50%近くのを占めるに至った。社員も
私を含め3人体制で今に至る。
続く。
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| 私の建築設計修行時代(2) | 2004年9月11日 | ||||||||||||||||
荒井設計では、官公庁物件が多かった。小中学校校舎、体育館 が建て替
え時期でやたらに多かった。市立図書館、スケートセンター、競輪場、市営
住宅等。設計打ち合わせから監理まで全てに関わった。住宅は受注数が少な
く、私は一般住宅は数本しか経験がない。5000万以上の高級住宅も数本
担当した。民間物件では病院、医院、工場、オフィスビル、店舗等担当した。
事務所の方針で、図面はこまかく、きれいに、端折ることなく何枚も施工
図のように書いた。その分監理は楽だった。官公庁物件は県内ほとんど担当
したので、独立後も得意とした。
昭和59年の一級建築士試験に合格。
当時、荒井設計で在職中で一級を取った人は過去1人しかいなかった。現
横松設計事務所の横松社長、私の5年先輩で大学の先輩でもあった。作家の
立松和平の実弟である。その年、私と構造の富永氏、二人合格した。富永さ
んは女性で2児の母、構造担当、荒井社長夫人の妹。彼女はこつこつ勉強す
るし、頭がよいので初挑戦だが受かると思った。私は3度目の挑戦だったが
、富永女史が受かって私が落ちていては会社内でどうにも頭が上がらない。
仕事も忙しかったが、必死で受験勉強した。
昭和61年秋、後継者の佐々木氏(現社長)も育ってきたことだし、自分
も30歳を超えた。そろそろかなと思い、荒井社長に1年後の退職を願い出
た。
退職時期に宇都宮市の小学校が火事にあい、急遽大至急の仕事が入った。
退職を2ヶ月遅らせて、最後の仕事を全力で完了させた。
退職前の日曜日、だれもいない事務所で机廻りの後片付けをした。一日が
かりで7年半たまった持ち物をきれいにし、事務所もきれいに掃除して帰っ
た。何人もの人が去っていったのを見送ったが、後かたづけができてない人
が多かったを苦々しく見ていたので、自分はそうならないように気をつけた。
続く。
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| 私の建築設計修行時代(1) | 2004年9月9日 | ||||||||||||||||
卒業論文もあり、地元に帰っての就職活動は年末からだった。栃木県の設 計事務所をまったく知らなかったので、電話帳を調べたらすごい数あった。 宇都宮市で200社ぐらい。当たり所を絞るために図書館で建築年鑑のよう な本を調べて10社ほどに絞った。端から電話していったが時期遅しでどこ もすでに新卒は決まっていた。只1社、面接してくれる会社があった。(株) 荒井設計だった。 1時間ほど荒井設計の荒井社長に面接していただいた。荒井社長は、私の 身体が丈夫そうか、根性ありそうかをよく見ていたようだ。1週間ほど後に 入社決定の電話をいただき、宇都宮の事務所に再度おじゃました。 荒井設計は総勢15人ほどの事務所だった。その年の新卒は5人(内1人 は事務員)。他の新卒より早く入社して少しでも早く慣れてくれとのことで 、3月から勤め始めた。通勤には入院した父親のスカイラインを借りた。 昭和55年3月 大学卒業。 仕事は厳しかった。一応勤務時間は、am8:30〜pm5:30であるが、 通常仕事が終わるというかぼちぼち帰り始めるのがpm10:00ごろだった 。0時を超えるのもめずらしいことではなかった。通勤は片道36q1時間 かかった。 父は、その年の5月29日に、入院していた宇都宮の済生会病院で喉頭ガ ンによって亡くなった。享年51歳。 父は私の帰りが遅いのを、仕事の為ということがどうしても納得できてな いようだった。毎日毎晩そんなに遅くまで仕事をしている会社があるはずが ないと思っていたようだ。教師の父は、私が毎晩どこかで遊んでいると疑っ ていたようだった。 (株)荒井設計では、昭和62年10月退職するまで7年半お世話になっ た。11月に(有)翔建築設計事務所を立ち上げた。荒井時代は、1年に 3000時間以上は働いていたので、知識、経験的には非常に役立った。 同期で入った5名は、3年目には2人になり、4年目には私だけになった 。毎年何人かずつ入るが、2〜3年で入れ替わっていった。5年もすると、 私より古株は数人になっていた。 数年後・・・ 県営住宅設計のまとめに入っていた時、夜中の2時ごろ、スタッフのI君 がトイレから帰ってこない。様子を見にトイレに行くと、小便器を抱えてI 君が血を吐いて倒れている。救急車を呼んで即病院へ。急性胃潰瘍だった。 彼は退院後”建築をやめた”と言ってデパートに就職した。 とにかく仕事は激務だった。原図にフォルダーで図面を書き、変更訂正で 消しゴムを使い、また書き込む作業の繰り返し、図面が大きいので姿勢が悪 く腰も肩もこる。身体はかなり傷んだ。 私も苦しかったが、東京の設計事務所の現状を知っていたので覚悟してい た。会社の成長期であったし、給料をきちんといただけただけでもありがた いことだと思っていた。 現在の荒井設計は、佐々木社長の下で良好な職場環境を築き、職員の在職 期間も長いようだ。成熟期にはある程度の年齢と経験をもったベテラン層が いないと、良質な設計・監理はできないはずだ。 続く。 | |||||||||||||||||
| 私の大学時代(2) | 2004年9月7日 | ||||||||||||||||
大学では印象に残っている教科は、近江栄先生の近代建築史、小林文次先 生の日本建築史、黒沢隆先生の西洋建築史。斎藤公男先生の建築構造。建築 計画では、非常勤講師である多くの現役建築家の考え方を学ばせてもらった。 3年からは、アルバイトもバイト料は安いが設計事務所に絞ってやった。 黒川紀章事務所、日本設計、小さなアトリエ事務所、東京芸大生の卒業設計 の手伝い等。そのころの有名事務所は、新入社員の給料はなし、2年目月給 3万、3年目8万、4年目に普通の会社の初任給 というのが常識で通って いた。黒川事務所で建築模型作りのバイトをしたが、早稲田の大学院出の先 輩にはバイト生がコーヒーをおごってあげていた。日本設計や日建設計のよ うな組織事務所は給料面でも待遇面でもきちんとしていたようだ。 黒川事務所で作ったタタミ1帖ほどのフランスに建設する薬のバイエルン 工場模型は、何日も徹夜作業で完成し、徹夜明けの朝パリ便に乗りるため成 田に運ばれた時はなんともいえない充実感に満たされた。模型作りは日本設 計の渡邊嘉雄さんから、きちんと教えていただいた。去年、26年ぶりで日 本設計にお邪魔したら、まだ模型室にいらっしゃった。最近出版された本 『建築模型の作り方と設計への活用』(村尾成文・渡邊嘉雄著 彰国社)を いただいた。 模型作りはベテランになって、いろいろなところからお声がかかった。 東京では、毎週どこかで有名建築家のセミナーを無料で聞く機会があった 。非常勤講師の黒沢隆先生が、お友達の建築家を引っぱってきて日大で講演 したり、近くの文化学院では毎週建築家の講演会をやっていた。これは東京 ならではのことで、ありがたかったし今につながる勉強になった。。建築家 からOHPを使って作品のコンセプト、思い入れ等、吸い込まれるように聞 いた。当時、新建築や建築文化に出てくる建築家はほとんど講演会で直接話 を聞いたと思う。ちなみに文化学院では、授業のデッサンで生徒が替わり番 にヌードモデルになっていて教室の壁に作品が貼ってあった。 私の父親は中学校教諭であったが、子供4人なぜかだれも先生になろうと しなかったし公務員もいない。学校の先生の世界は、生きていくのに窮屈な 世界だと感じていたのかもしれない。私は就職は東京の設計事務所に行きた いと思っていた。そのころ結構不景気で、設計事務所の求人が少なかった。 当時日本設計でさえ3人しか新卒をとらなかった。就職活動している内に、 父親が喉頭ガンで入院することになった。家には父、母、高1の妹がいて、 兄と弟は県外に就職していた。 私は地元に帰って就職することに決めた。 続く。 | |||||||||||||||||
| 私の大学時代(1) | 2004年9月5日 | ||||||||||||||||
昭和51年4月、日本大学理工学部建築学科に入学した。1年は習志野校 舎で2年生から卒業までお茶の水校舎に移る。とにかく受験勉強から開放さ れてうれしかった。親戚の紹介で、大学から2駅の2食賄い付きの下宿屋の 2階に入った。 そこは4部屋あり、すぐに親しくなりその友人達とも交流するようになっ た。受験勉強の反動で、大学の勉強以外のことを精力的にやった。全てが物 めずらしく、東京をあっちこっちさまよい歩いた。マージャンも力一杯やり あらゆるアルバイトもした。それまでアルバイトをしたことなかった。 当時、日大理工学部建築科は募集定員440名だったと記憶している。し かし220名のクラスが3クラスあった。卒業の時は440名だったので、 220名はやめていったことになる。建築科には入ったが、そのうち自分に 合わないことを気づくこともあるし、やりたいことが他に見つかることがあ るのでやむを得ない。私は国立志望で5教科受験勉強していたが、数校大学 受験したうち建築科は1校だけで、そこに入ったことになる。受けた他の学 科は機械科、電子工学科で、これをやりたいという強烈なものも具体的なイ メージもなかった。高校の段階で自分のやりたい職業を見つけるのは無理だ と思う。私自身理数系に迷わず進んでいたが、実は文化系の方が向いている ことに20歳前に気付いた。本当は、成績とは別に、物理とか数学とかはあ まり好きではなく、歴史とか国語の方が好きだった。その意味では建築科に 進んで良かったと思う。建築は、理数系+文化系+芸術系だと思っている。 2年になってお茶の水校舎に移るので、引っ越した先が東武東上線つるせ アパート。1年で同じ下宿屋にいた電気科の岡部君も同じところに移った。 岡部君は山梨県出身の好男子で、卒業後は電気とは無関係の山梨県警に就職 した。 そのアパートは、家賃は安かったがボロアパートで自炊、廻りの部屋は世 帯家族ばかり。遮音も悪く、夜友人と語り明かしたりマージャンしたりする とよく苦情がきた。創価学会の信者も多く、朝夕勤行が聞こえてきた。宗教 について興味を持った時期でもあった。よくアルバイトして、生活費にした。 4年になる前に引っ越しした。同じ東武東上線でときわ台。駅から15 分ほどのところで、2食賄い付きの下宿屋だった。佐藤さん御夫婦で、たし か50年下宿屋をやっていると聞いた気がする。建物もそのぐらいの年期は 入っているようだった。ほとんど学生で10人ほどいた。学生以外はマンガ 家横山光輝のスタッフが1名いた。 その下宿屋はマージャン禁止で、掟をやぶって見つかった中央大の人が、 2日後引っ越ししていった。賄い付きの為、健康状態は良くなった。引っ越 してきた当初、腹部に強烈な痛みが走り、下宿屋の佐藤さんに付き添われて 近くの病院に行ったことがあった。膵臓が半分溶けていて、1週間ほど入院 した。つるせ時代の不摂生がたたったものだと思う。今はまったく痕跡なく 元気そのもの。 続く。 | |||||||||||||||||
| 宇都宮大学のインターンシップ受け入れ | 2004年9月3日 | ||||||||||||||||
今夏、宇都宮大学のインターンシップを受け入れた。宇大建築科3年で岩
手県出身の老藤君。8月10日に面接し、盆明けの17日より9月3日今日
まで3週間研修してもらった。
研修内容
1.現在設計中のフレンチレストランの1/100模型造り。
2.2現場監理の見学。
3,自治会のhp作り。
学生君は、非常に素直で頭が良く、世間ずれがなくおっとりした感じだっ
た。今後の進路を決めかねていて、官公庁かゼネコンかハウスメーカーか設
計事務所か悩んでいたようだ。今回の研修で、設計事務所の内容の一端は分
かってもらえたと思う。研修したことは大学の単位になるとのこと。
ワンツーマンでいろいろ語っているうちに、自分の学生時代を思い出して
しまった。私も日大3年生の時、日本設計(日本で2番目に大きい設計事務
所)のオープンデスク制度に参加させてもらって研修した。
これからしばらく、私の学生時代から今に至るまで書いてみたい。
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| 日記再開 | 2004年9月1日 | ||||||||||||||||
な〜んとこの日記、2年半もさぼってしまった。日記は習慣だということ
の証明です。反省してます。
最後に記帳した2002年2月から今までの間に私・事務所の変化を羅列
してみました。重要な順に・・・
1.オープンシステム(OS)を始めました。
2002年6月 OS入会。住宅設計監理は、OSでやることに決め
ました。
2.私の嫁さん(浩子)が事務所の仕事をいっしょにするようになりました。
住宅の設計監理の際、客方に同行して。お客の奥方の考えや気持ち
を引き出すのに適していると考えついたから。
3.福祉住環境の研究を深めてきました。これからバリアフリーリフォーム
をバリバリやります。
・私、浩子 福祉住環境コーディネーター2級取得。
・浩子 ホームヘルパー2級取得。
・私、浩子 栃木県主催の平成15年度在宅介護講習会に1年間参加。
・私、浩子 FJC栃木支部(福祉住環境コーディネーター協会)の
立ち上げに参加。月1回の勉強会。
・私 ベンチャープラネット21の医療福祉部会に参加。
・フトン屋の(株)三十 とバリアフリーリフォームで提携。
4.自社hpを大幅リフォーム。
・福祉住環境コーナー新設。
・オープンシステムコーナー新設。
・建築現場の進捗状況公開コーナー新設。
・作品集 整備。
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| 森林保護と木材活用のゆくえ | 2002年2月19日 | ||||||||||||||||
建築まめ知識 森林保護と木材活用のゆくえ
広報委員 中村 清隆
今回は環境問題で注目され、ダム整備のかわりに自然のダムとしての整備が
見直されている森林と木材について考えてみます。国産材を使え使えと林業関
係方面から結構ハッパをかけられるけど、正確なところ国産木材がどんな状況
なのかわかりますか?
◎国産木材の利用状況
日本の木材資源は75兆円あると言われています。木材を大量に消費するの
はなんといっても住宅建設です。建設省発表(H11)の住宅着工件数が134
万戸、その内輸入材が65%で国産材はなんと35%です。乾燥材の使用率は、
国産材は10%にとどまっているのに対して輸入材は90%です。高気密高断
熱等の高機密化、断熱性の向上を求められつつある現在乾燥材の要求は日に日
に高くなり、集成材の普及率も20%(H8)と上がってきています。
◎木材需要の変遷
昭和20年の終戦以来、戦後復興需要により木材が不足しました。その為昭
和34年に日本政府は輸入材を認可し、それから輸入材が急速に普及してまい
りました。昭和40年代に大規模植林(特に杉)を実施したため、現在大量の
木材が伐採時期を迎えている現状です。一方大輸出国アメリカでは、今までは
自然林を切っていたので安く供給できていたが、植林を義務づけられたために
これからは価格が上がってくるはずです。
◎栃木県の木材生産状況
栃木県の木材生産量(杉・桧)は35万m3 で全国12位。ちなみに1位
宮崎県95万m3 、2位大分県70万m3 、3位熊本県65万m3 、4位秋田
県55万m3 、5位愛媛県、6位高知県、7位福島県、8位三重県、9位鹿児
島県、10位静岡県と続きます。
1位の宮崎県では、県産材の普及に並々ならぬ努力をしているそうです。
◎栃木県で生産する木材は住宅何件分?
栃木県内で建設する木質系住宅の木材量を計算してみます。栃木県の新設住
宅着工件数(H11)は1万8千戸、その内木質系住宅は約1万戸。1戸平均45
坪の家を0.57m3 /坪の木材を使ったと仮定すると、1戸当たり25.4
m3 の木材を消費します。25.4m3/戸×1万戸=25万4千m3。歩止まり
70%として、33万m3の原木を消費していることになります。この数量は栃
木県で生産される木材とだいたい同数です。昭和34年以前の様に日本材のみ
使用している分には循環型を保てるのですが、上記の現状なので約65%もの
木材が余り、深刻な問題となります。いったいこの余剰木材を何に使ったら良い
のでしょうか?
◎今後の木材活用法
・木材発電所構想・・・将来的に必要半分の電力を賄う構想。(バイオエネルギ
ー発電はフィンランド・スウェーデンが先進国)
・宇都宮市・・・今年4月から小学校体育館を改築する場合、原則として木造平
屋建とする。順次整備を進め、最終的に全校木造化を図る。(下野新聞1/4)
情操教育に良いそうです。今後県内にも広がっていくことでしょう。
・森林整備に、余剰人員をかかえる建設分野から人を回そうという構想・・・うま
くいくんでしょうか、疑問です。ちなみに阪神大震災で失業した人を復興建設事
業で雇おうとした時、万単位の雇用を見込んだのに応募者はたったの18人だっ
たそうです。
・ほかに何か良い案があれば、それは新産業 として発展することでしょう。
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| 21世紀は健康産業の時代? | 2001年9月 | ||||||||||||||||
建築まめ知識 21世紀は健康産業の時代?
広報委員 中村 清隆
◎健康保険2002年度に財政破綻?(平成12年9月)
ちょうど1年前の平成12年9月27日、厚生省は平成11年度の健康保
険収支決算で約3200億円の赤字を発表、平成14年度末には赤字が58
00億円まで膨らみ事実上破綻するとの試算結果を公表した。これを回避す
るには、保険料率を現行の8.5%から9.6%へ1.1%ポイント引き上
げることが必要だそうだ。
◎健康保険本人負担3割に(平成13年9月)
厚生労働省は2002年度に予定している医療制度改革の基本方針を固め
た。
@高齢者の負担増
・対象者を70歳から75歳へ段階的引き上げ。
・高所得者は現役世代並み負担。
・外来窓口負担を1割に統一。1ヶ月の負担見直し。
A現役世代や企業の負担増
・外来窓口負担を2割から3割に引き上げ。
・保険料徴収を月収ベースからボーナスを加えた年収ベースに変更。
B医療機関などへの影響
・診療報酬の据え置きや引き下げ。
我々にとって所得税より保険料の方がはるかに負担が大きいのでゆゆしき
問題だ。しかし、以上の施策だけで医療費を未来に向けて止められる訳がな
い。そこで浮上するのが健康対策だ。健康のまま年をとれば医療費はかから
ないはずです。厚生労働省はこの点にも手を打ってます。最近見かけるパン
フを紹介します。
●経営者等を対象の 経営者健康づくり「体験セミナー」
・厚生労働省の事業。
・1人約4万円 全額助成。
・小渕元総理が急死したころから現れた事業で、不況の中苦戦している経
営者の健康を守ることを目的にしている。
・今まで従業員のための事業はあったが、経営者の為の事業はなかった。
さらに今後の予想は・・・
●県市町村をあげて健康事業に乗り出す?
・医療費を抑える為に、健康を維持継続させる政策が普及する。
・特養の次は各市町村にスポーツクラブ(プール・エアロビ施設)が競っ
て整備される。
・健康医療が普及する。(今の医者はスポーツより薬を薦める)
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| 役に立つホームページ活用法 | 2001年3月19日 | ||||||||||||||||
またまた所属している栃木県建築士事務所協会の「建築まめ知識」から
掲載します。今回はhp開設に必要なことを、自分の体験したこと書いてみ
ました。
建築まめ知識 役に立つホームページ活用法
広報委員 中村 清隆
私(翔建築設計事務所)がインターネットに接続したのは3年前。最初の
1年は物珍しさであっちこっちのhpをのぞいて廻り、電話料も月1万円も
跳ね上がった。2年目の去年、自社のhpを開設し新しい商売になればと意
気込んでいた。現在は、毎日1時間メールをチェック、興味あるhpを見る
のが日課になった。3月からフレッツISDNが始まって、使い放題月36
00円、とっても嬉しいことです。インターネットは、かなり常識化してき
たようです。
建築士会のNEWS1月号『インターネット活用術』の中で、武井さんがプロ
バイダについて分かりやすく解説していますので参照することをお勧めしま
す。このコーナーと
重複しないようにしています。
●ホームページをどこに置くのか?
hpを作ったけど、それをどこに所属させるか悩むところです。3通り
方法があります。
@自社サーバーを持つ。
サーバーと名がつくと数百万円の世界でしたが、最近では30万の機種
もでているようです。大容量(8GB以上)で大企業に向いてます。自社
ドメイン(名前)が持てます。セキュリティーに注意が必要です。
Aレンタルサーバーの利用
自社サーバーを持つほどでもなく、なおかつ自社ドメインは持ちたい、
セキュリティーは人任せにしたいという方にお勧めです。使用料は月5.
5千円〜1万円(安いところは通信速度に注意)。容量は50〜100MB。
Bプロバイダーの無料レンタル利用
一般に使われている方法です。使用料は無料。容量は通常5MB。hp
のみの利用ではこれで充分と思います。ただし、専用ドメインは持てない。
●@〜Bのどれを選ぶか?
ちなみに(社)栃木県建築士会のhpはBです。8支部青年部のコーナー
も入って、5MB以内で収まっています。建築士会のURL(ホームページ
アドレス)は 、http://www.iris.dti.ne.jp/~tkshikai/ ちょっと長くて
最初に打ち込む時に間違えそうですね。これが専用ドメインを持つと、http
://www.栃木県建築士会.ne.jpとか末尾が.comとか、短く又わかりやすくなり
ます。この変更にはAにする必要があります。
通常のhpは2MB程度です。それ以上のボリュームを持つと、アクセス
しても重くてなかなか開かないhpになってしまいます。
●ホームページ作成の注意点
@ 費用は?・・・ hp作成業という業種が現れて定着しつつあります。
技術的には毎日飛ぶように進化しています。hp作成の費用は、ピンキリ
ですがおおよそ30万から数百万円 。(参考までに、当社では60万円か
かった)
A hp作成を外注する時の注意点は?・・・内容の更新を自社でできるよ
うに作ってもらうことと、トップページをデザイナーに頼むことです。
(hp作成業者は技術者が多く、デザインが不得手な人もいる)
B 理想は?・・・ 大変でも自社で作ることだと思います。更新がマメに
なると、外注費がバカになりません。最初に苦労して自社で作ったものな
ら更新は楽です。hpはバクテリアみたいに繁殖していくものです。初年
度1MBだったものが、2年後は2MBになっていって、そうでなくては
人は見てくれません。そのためには、自社で更新できるようにしたいもの
です。
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| 日刊建設新聞に載る | 2001年3月1日 | ||||||||||||||||
![]() 先月、日刊建設新聞の記者が来社。 この記者さんはなかなかの人物。又 インターネットの話かなと思ったら、 パソコンもITもきらいなので、それ 以外の話をしてくれと言う。 それは好都合とまちづくり展の話を した。いろいろ話をしたが、辛口の部 分だけ記事になった。 ついでに「国土交通weekly」という 週刊誌の3/1号に2ページに渡って 当社の紹介記事を載せてくれるそうだ。 もう出ているはずだが私の手元にはま だ届いていない。 2年前、建築士会今市支部の初めての 作品展『建築士の顔・かお・カオ』をや った時も準備が大変だったが、今回は 5割増の準備がかかっている感じだ。 スタッフのみなさんご苦労様です。 | |||||||||||||||||
| 建築士会まちづくり展の準備でおおわらわ | 2001年2月15日 | ||||||||||||||||
3月8日から13日まで開催する『建築士会まちづくり展』の準備たけなわ
です。今市支部で去年 まちづくり委員会 を発足してまもなく1年になる。
メンバーは、大嶋、岩上、湯澤、佐々木、竹澤、加藤、入船と私。当事務所の
2階を会議室にしている。概要を下記に載せてみた。
建築士会まちづくり展
T.イベントの名称:『建築士会 まちづくり展』
3大テーマ ・全国まちづくり資料展
・今市今昔物語
・まちづくりセミナー
U.開催日時 :今市市杉並木公園ギャラリー
3月8日(水)〜13日(火)
3/7 pm10時より搬入,展示
3/8〜13pm2時まで 展示会
3/13pm5時より反省会
V.協 賛 :今市市、今市市観光協会、日光地区商工会議所,今市商店会
連合会,(株)オアシス今市、(社)今市青年会議所
(株)下野新聞社、(株)大日光ケーブルテレビ
W.内 容
1.全国まちづくり資料展
・TMOの名簿より35事業体のTMO資料の展示。
※ポスターがあるのは、7事業体。
・まちづくり成功事例展示
a)川越市・・・街道筋両側の写真L=4m、まちづくり開始1986年当時と
1999年の2本。A0版マップと写真。A3版まちづくりの
変遷の説明書。
b)滋賀県長浜市の(株)黒壁・・・15分ビデオ、パンフレット
c)岩手県江刺市の(株)黒船・・・パンフレット
d)大田原市の(株)玄人軍団・・・シニア層による商店街の空き店舗活用法。
e)佐野市の悠楓園(ゆうふうえん)・・・佐野駅より歩いて3分、十字屋の撤
退跡地利用として介護対応型マンションにリニューアル。
f)足利市の足利買場・・・・・・・67日間空き地に仮設テントでショッピン
グモールを出現させた。シュミレーションの一つの手法。
g)その他・・・・・神戸市震災後の設計コンペ資料、まちづくりテキスト等
・ビデオ放映
a)滋賀県長浜市の(株)黒壁
b)(社)今市JCのまちなかセミナー
c)建築士会宇都宮支部のバリアフリー体験ビデオ
2.今市今昔物語
・ 滝尾神社より追分け地蔵までの街道筋両側のまちなみを、明治9年当時と現代を
業態の変化に着目して比較する。今市市郷土資料館にある明治のまちなみ図(長さ
約1間)と、同じ大きさにした現代の住宅地図。
・ 現在のまちなみの写真(約1間)
・ 明治初期より昭和までの今市の写真展示。A4 100枚
3.まちづくりセミナー
・3月11日(日)
第1話 PM1:00〜1:50 今市市のまちづくりの現状
日光地区商工会議所 五味渕課長、矢口先生
第2話 PM2:00〜2:40 大田原市の空き店舗対策
大田原市(株)玄人軍団 高橋社長(アイ電子工業)
第3話 PM3:00〜3:30 環境デザイン・ワークショップの手法(ヘンリーサ
ノフの実践手法)
建築士会宇都宮支部 酒井氏
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| iモードで設計打ち合わせ | 2001年2月1日 | ||||||||||||||||
現在2件の住宅設計を進めている。T邸は55才のご夫婦、H邸は44才の 旦那さんと4?才の奥さん。両者ともご夫婦で事務所に来られて週1回ペース で打ち合わせをしている。打ち合わせが土日のため、私は年の初めから休みが ない。両者とも新築したらインターネットをやりたいということで今はやって いない。H邸の奥様はiモードを持っている。これが打ち合わせに効果がある ことに初めて気づいた。疑問の点、気づいた点をすぐメールで送ってくれる。 こちらはメールを見られる時にチェックすれば良い。そして返信する。 2週間ほど打ち合わせが空いてもそんな気がしない。早い変更指示と心変わり を早くキャッチできるので手戻りが少ないし、よりクライアントと共同して設 計している気持ちになれるようだ。 | |||||||||||||||||
| 『川越』建築士会のまちづくりフォーラムに参加 | 2001年1月19日 | ||||||||||||||||
![]() 時の鐘 400年前から城下町に時を 知らせてきた川越のシンボル。 現在のものは4代目だそうです。 |
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![]() ほのぼのとした菓子屋横町。 かすかに記憶のあるせんべいや 飴類が、自家製造で店頭に。 私は栃木県建築士会今市支部に所属してます。3月に支部で「建築士会まちづくり展」 を開催するので、参考になるかなと思って参加した。しかし驚きだった。全国から それぞれの地域でまちづくりに関わってがんばっている人たちが集まったわけだが 、建築士が地域に密着して長い期間汗を流している姿をかいま見て感動した。 自分の会社を維持し、社員と家族を養い続けることは大切なことです。それに加 えて自分が、そして会社が専門職能を生かして地域に貢献することも大切なことで 、初めてその地域に自分の会社が存在する意義がある。これからも建築士会活動に 邁進しよう!! 川越のまちづくりの紹介を一言。 今に至るまで20年かかったそうです。その間関わってきた建築士の西園寺さん、 川越市役所都市計画課の荒巻氏、倉の会(商店会)の馬場会長さん、長期間粘り強く 市を商店会を説得し続けた結果が現在のまちなみになってる。西園寺さんは、この経 験を生かして、全国でまちづくりセミナーの講師をやられています。 | |||||||||||||||||
| 環境について | 2001年1月10日 | ||||||||||||||||
所属している栃木県建築士事務所協会で、私は広報委員会に入っています。
そこで「建築まめ知識」のコーナーを、もう3年間も担当しています。今回、
新年号を出すのに丸1日考えて調べて書いたものを、出版に先駆けてここで
発表してしまいたいと思います。ちょっと長いけど、読んで損はないはず。
建築まめ知識 21世紀のキーワード ”環境(CO2削減)”
経団連は、今年3月をめどに中国・重慶市で植林事業に乗り出す。竹やびわ
など現地の在来種をまず年100ha(1q2 )づつ、5年で500ha(5q2)
植林を行う。地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)の削減をねらったも
のだ。地球温暖化防止対策では、先進国が途上国の温暖化ガス排出抑制に寄与
すれば、その一部を先進国の削減分としてみなす制度の導入が論議されている。
将来の日本のCO2排出削減枠確保をにらみ、植林に独自に取り組む試みをしてい
る。海外植林では、1万ha(100q2)でも投資額が年4億円以下ですみ、
年5億トン以上のco2削減の効果があるといわれている。(ちなみに栃木県の面
積は6400q2、宇都宮市が312q2。)
これはどうゆうことかというと、1997年の世界環境の京都会議で、日本は
CO2排出量を2010年をめどに、1990年比(3.5億トン)で6%削減する
ことを決めたからだ。ところが、とてもじゃないが努力しても目標達成しそうも
ないので上記の様な苦肉の策をやっている。
『CO2削減』
「CO2削減」これが日本の環境問題に対する目標と思って、国の急激な政策を
見ると理解しやすい。1月6日より環境庁から環境省に変わった川口順子環境大臣
も、当面の重点政策として、(1)地球温暖化対策(2)循環型社会の形成
(3)国民の安全と安心の確保(4)国民の協働協力による自然保護 の4つを
あげている。
〇主な法令
1.グリーン税制・・・低公害車の自動車税を最大約50%軽減。新車登録から
11年を越えるディーゼル車、13年を越えるガソリン車は10%増税。
2.食品リサイクル法・・・大手食品メーカーや外食・流通企業に、食品廃棄物の
排出量をリサイクルなどで20%削減するよう義務付け。(生ゴミの焼
却は燃料がかかりすぎる。)
3.建設資材リサイクル法・・・コンクリート、アスファルト、木材の3品目を特
定資材として一定規模以上の解体工事に現場分別、再資源化を義務づける。
木材は燃したらいけないことになる。
4.住宅の次世代省エネ基準・・断熱材が床、壁、天井共やたらと厚くなった。住金
で250万の割り増し融資がつく。
以上がここ1〜2年でバタバタと国会で可決してきたことだ。
日本のCO2排出量は、3.57億トン。この内、建築工事に伴う排出量は9.4
%。土木工事に伴う排出量は9.7%。運用によって排出されるのは住宅、業務用を
合計して23.2%である。これらの合計42.4%が建築土木の工事、運用(冷暖
房等)によってCO2を排出している。ちなみに、その他の57.6%にゴミ焼却、
車の排ガス、製造に伴うもの等が含まれる。反対に、日本の森林によるCO2吸収量
は0.6億トンである。
この数字を見れば、建築の特に断熱と耐久性にいろいろ注文がつくのも当然だ。何
年か前に「省エネ基準」ができたと思ったら、もう「次世代省エネ基準」ができた。
しかし、この基準ができて、やっと欧州の基準と肩を並べることができる。バタバタ
可決してきた最近の法律も、欧州ではすでにやっているところが多いというのも驚き
だ。ユニバーサルデザインにしろ環境にしろ、日本がいつの間にか世界の動きから取
り残される分野がある。マスコミも学者も、世界の動きをもっと早く、大きな声で伝
えてほしい。又、英語の解読ソフトを使って、インターネットで海外の新聞を読むの
が日課になることも必要かな。
[中村 清隆]
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| 明けましておめでとうございます | 2001年1月5日 | ||||||||||||||||
皆さん、明けましておめでとうございます。今年も無事に1年を過ごせますよ うに。子供の頃、遠い未来のことと思っていた21世紀がついに来てしまった。 年末は、建築士会も協賛した関係上カウントダウンのイベントに参加して、年 初めは追分け地蔵、二荒山神社、山久保稲荷と今までになくおまいりもした。 当社は今日が仕事始めです。 1年の初めは、恒例の経営指針の発表をします。うちの事務所は10月決算 なので、12月末に決算書が出来上がってきます。決算書は経営者の通信簿。 経営指針は、会社の理念から始まって、去年1年間の総括、今年の経営方針、 営業戦略など年末から正月にかけて私が作ります。経営指針書がA4で5枚。 その後ろに決算書の貸借対照表、損益計算書をつけて各自に渡し、3時間ほど の時間をかけてじっくり話をします。この方法は、栃木県中小企業家同友会で 学んだやり方で、今年実施3年目になります。会社の情報は、社長の給料まで 全部公開しますので、会社の状態がダイレクトに社員に伝わりますので、去年 は苦しかった、という話をしてもまったく実感が湧くはずです。 今年は事務所創立14年目になります。20周年のビジョンを作ってます。 8人の社員と1億の売り上げになっているはずですが・・・・・・・ この日記も1週間に1回は書き込みをすると決めました。 | |||||||||||||||||
| 最近竣工の公衆トイレ | 2000年12月17日 | ||||||||||||||||
![]() 中善寺赤沼の公衆トイレ 小田代ヶ原の遊歩道はここが スタートです。 |
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![]() 去年の秋に設計完了し、長い冬 を経て秋のシーズンにデビュー。 予算オーバーで合わせるのに苦 労したけど、よくできてて満足 してます。 写真を撮ったついでに小田代 ヶ原を1時間ほど散策したが、 天気も良かったし人気も少ない し、また日光の良さを再発見し た日曜でした。 | |||||||||||||||||
| 最近あっちもこっちも改修工事 | 2000年12月3日 | ||||||||||||||||
ここのところ2物件立て続けに改修工事の設計をやっている。
ひとつは、私の出身中学校の体育館。昭和40年竣工だから25年経っ
ている。中学校はすでに移転して、現在は豊岡運動公園の体育館として使
われている。鉄骨造のカマボコ型で、昔はどこの体育館もこれだった。巴
(施工したメーカー)の技術者が、まだ現存していることを聞きつけて視
察に来たほど珍しいそうだ。
私が中学時代に、修学旅行の後、みんなで作ったタタミ1帖分の絵もキャ
ットウォークに置いてあった。内外部共ボロボロのところを、毎年少しづ
つ市の予算をつけて直していく予定で、ちょっと前なら間違いなく壊して
建て替えていただろう。
まずは耐震補強と床工事から。現在、工事進行中。
ふたつ目は、中古マンション2棟。76戸あって、栃木県では住宅金融
公庫融資の第1号という25年前の代物。RCの躯体のみ残して内外装と
もやり直す。間取りも3DKを、2LDKの現代風に華麗に変貌する。現
在内部は設備、サッシ共ガタガタで、困ったことにサッシの部品がもうす
でにメーカーにはない。サッシごと取り替えるとかなりのコストアップに
なってしまう。
ちなみにこの建物を全て解体すると、1億円近くかかる。改修で内部を
手作業で解体する今回の解体工事は5000万円強かかる予定だ。
改修の設計は、新築よりも難しいものだ。予算が有り余るほど有るわけが
なく、どこまでやるか優先順位をつけて、最小限の予算で後20年ほど保っ
てペイするようにしなくてはならない。
見積もり合わせで施工業者が決まり、これから着工する。
上記2件は25年も経った建物だが、たかが25年しか経ってないのだ。
これからの問題はここにあると思う。
不景気だから、予算がないから、建て替えじゃなくて
改修するという意識が、 私にも、客側にも、役所にも
まだまだあるようだ。そうではなく、使えるものは とことん使
い回しをする意識が当たり前にならなくてはならないと思う。
日本の木造住宅は、平均寿命が26年といわれている。アメリカでは44年
、英国では75年だ。木造住宅に限らず日本の建物は短命で、欧米は長命であ
る。どこかの講演で聴いた話で、ヨーロッパの電気製品にはコンセントの先っ
ぽがついていないそうだ。理由は、建物の年代によって差込口の形状が違うの
で、建物のその部屋の差込口に合わせてコンセントをつけるから。
環境の問題。
10月に宇都宮大学の環境セミナーを2日間受講した。
先進国の環境への長年の取り組みと、いかに世界が環境的に危ない状態か。また
、日本の取り組みがいかに遅れているか思い知らされた。スクラップ・ビルド
によるものと、断熱性能が悪いために発生する冷暖房の無駄によるCO2が日本
は他国に比べて極端に多い。自国で消化するとしたら、アメリカぐらいの国土の
森林が必要になる。日本では、次世代省エネ基準が去年制定されて、住宅金融公
庫で割り増し融資の対象になる厳しい断熱性能が示されたが、これで欧州の標準
に追いついたのである。(それもまだ一般的にはやられていない。)
CO2を減らすために、又は吸収するために国が打ち出すこれからの政策に
注目してほしい。
自動車のエネルギー別の税額差別
リサイクル法・・・解体した木材を焼却できなくなる。
住宅の寿命を50年に延ばす
住宅の断熱性能の向上
日本人はもともと物を大事にし、江戸時代のリサイクル社会は、世界的にみても
すばらしいシステムだった。英国の作家イザベラ・バードが江戸末期の日本を訪れ
て旅行記を書いている。ゴミもなく川がきれいで、田んぼも山も、町中も無駄なく
整備されている様子を書いていて、こんなに美しい国は無いと驚嘆している。その
ころ英国では、テムズ川はメタンガスの発生源であり、ヨーロッパの国々もイメー
ジとはほど遠い臭い国だった。
思うに、日本はヨーロッパの産業革命に追いつけ追い越せを初めてから、関心の
有り所が少しずつ遅れてきているのではないかな。精密技術も土木技術も世界一流
になってみたら、欧米特にヨーロッパではユニバーサルデザインが主流で車椅子の
人も、盲目の人も、難聴の人も不自由なく生活できる社会を目指していた。環境に
も危機意識を高めていった。北欧では、屎尿処理をしながら発電をする設備も開発
し、普及させようとしているのだ。
今日は熱弁してしまった。しまった!まだ仕事が終わっていないんだ。次回に言
い足りなかったことを書き込むことにしよ〜と。
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| 新聞・雑誌掲載記事 | 2000年11月30日 | ||||||||||||||||
これまで当社の紹介記事を載せてくれた新聞・雑誌 8月18日 日本経済新聞 首都圏ニュース 8月23日 下野新聞 経済ファイル 9月 4日 日刊工業新聞 9月 4日 日経産業新聞 9月27日 日経産業新聞 10月25日 中小企業家しんぶん 11月号 燃えよリーダー 11・12月号 財界とちぎ さすがにこれだけ記事を載せてもらうと反響も大きい。 反響が大きかった地方順は、1位:九州地方、2位:関西地方、3位:関東 地方。ITに関心のある順なのか、進取の気性の順なのか私にはわからない。 ともかく、たくさん紹介してもらえてよかった! がんばらなくちゃ。 | |||||||||||||||||
| 事務所のこと | 2000年10月30日 | ||||||||||||||||
![]() 写真が我が翔建築設計事務所の 社屋です。 4年前の平成8年11月完成で、 1階が事務所27坪、屋根裏に なっているような2階が13坪 (和室10帖と洋室、シャワー)。 2階は建築士会の仲間と会議 をしたり、その後お酒を飲みな がら議論したり、又あるときは 疲れた時の仮眠室となったり重 宝してます。 事務所ができる前は、道路反 対側のプレファブ9坪の事務所にいました。 人数は今と同じ3人。本やカタログの数は現在と変わらないのに、よく収ま っていたもんだ。 | |||||||||||||||||
| その後の状況 | 2000年10月17日 | ||||||||||||||||
このホームページも新聞発表から2カ月たった。 多くの方から励ましのメールをいただきありがとうございました。 注文は3件で、いずれも栃木県内で打ち出した住宅調書に時間をかけてチ ェックを入れ、うちの事務所に相談にこられました。平面プランと立面図だ けにとどまらず、本設計をやることになった。 当初のねらいとはちょっと違ってきたけど、インターネットが出会いの機 会になったことはうれしく思います。 | |||||||||||||||||
| 世界に一つのオーダーメードプラン | 2000年9月28日 | ||||||||||||||||
住宅の情報は身の回りにあふれています。 新聞のチラシ、住宅雑誌、テレビ等々。 だけど、考えてみて下さい。 敷地の形も、家族の構成も、家族一人一人の考え方も、みな違うものです。 一生で一度の大きな買い物をするのに、既存の型に押し込むことはないのです。 家族みんなの希望を最大限取り入れたプランづくりをおすすめします。 さらに、当社で提案したプランを元にして、何度も家族で話し合い、 もっと良いプランを作り上げることも可能です。 世界に唯一のオーダーメイドの家に住み、快適な人生を送っていただきたいと 考えています。 その手助けとして、当社のサービスを利用していただければ幸いです。 | |||||||||||||||||
| ホームページを開設して | 2000年9月1日 | ||||||||||||||||
皆さん、初めまして! 有限会社翔建築設計事務所代表取締役の中村です。 この度は、当社のホームページにお越し下さいまして有り難うございます。 これからも、時間の余す限り頻繁に更新をしていきたいと思っておりますので どうぞ、またお越し下さいませ。 | |||||||||||||||||